サウンドスケープ協会1997年度シンポジウム |
(1)上空から大阪の音を聞く
梅田の空中庭園・阪急デパートの屋上にのぼり、高さによって変化する都市の音を聴き比べる。
(2)大阪地下鉄音探検ツアー
市交通局への提言という意味を込めて、大阪市の地下鉄各線に乗車し、構内・車内の音を評価する
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(3)大阪地下街 音の仕掛けを探る
梅田の地下街は拡大しつつある。その中にいくつか組み込まれている音の仕掛けを聴く。
(4)おもろい大阪弁 見て!触って!味わってみまへんか!
天神橋商店街でショッピング。たこやき食べつつ21世紀の大阪弁はどうなるのかの体験的推測。
(5)ふたりっ子ツアー
天下茶屋周辺を訪れ、未来に向けて「残ってゆく」・「変わらない」風景を探す。
(6)浪速 太陽のMATURI
古代、浪速は太陽の祭儀場所であった。未来のMATURIはどうなるのか?
今回私はツアー2を選び、鶴見緑地線、谷町筋線、堺筋線などを聴き歩いてきた。以下はツアーを終えて感じたことである。都市の音の環境デザインはこれからもまだ問題は多い。
●路線相互の関連性
路線ごとに出発の合図音などが異なる。音色もメロディーも異なる。
そんなにいろんな種類の音を聞かせられるのは疲れる。できればメロディーはほとんどないサイン音(2音か3音の組み合わせが適当)が好ましいのではないかと思う。路線の違いはちょっとした音色の違いだけでもかなり表現できるはずである。合図の音はごてごてするべきではない。
●音量のコントロール
古いタイプのラウドスピーカーが一部まだ使われている。それらの音量は頭が痛くなるほど大きい。また、スピーカーの位置、空間の容積・吸音率によって出すべき音量は違うと思うが、それらはコントロール可能なのだろうか。一斉調整のボリュームだけでなくエリアごとに調整できるハードウエアがないとこれは仲々実現が難しいだろう。
●音の混在
いくつかの駅では専用の情報提供テレビが設置されていた。駅ではアナウンスが2種類かぶって放送されることも結構ある。テレビの音が加わると、結局どの音も聞こえない。これは同期させて駅の放送と重ならないようにしなくてはならない。だがその前にあのテレビって本当に必要なのだろうか。これからの時代は、使い方を真剣に議論してから使うのが公共的な場の管理者の責任だと思う。この例だけではなく、最近は、技術的にできるからやってしまうといった姿勢のところが多いように感じる。
●明瞭度
「アナウンスが聞きにくい」のは、音量が小さい場合だけでなく、残響が長い場合にも聞きにくくなる。残響によって聞きにくい場合に音量を上げても効果はない。残響成分の影響を小さくするためには、残響自体をおさえるか、言葉の間隔を広げてマスクする残響が小さくなるようにするかである。
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●アナウンス
車内に向けての広告放送がじゃま。バスの中での広告放送は聴いたことがあるが、電車の中というのは大阪で初めて体験した。移動時間というのは本を読んだり、考えごとをしたり、いろいろと重宝に使える時間である。そういうときに「言葉」が入り込んでくると大変じゃまに感じる。JRも到着時刻とかをアナウンスするが、そのような情報は切符に書いてあればよいのだから(JRの切符は充分大きい)なるべく静寂な時間をつくって欲しいと思う。
●ドア開閉時
開くとき閉まるときそれぞれ「ピー」「ブー」とブザーのような音がする。音量はかなり小さいが、何の役にも立っていない。存在意義不明の音はあえて鳴らす必要はないのではないか。
●警笛
警笛の種類も路線によって違うようだが、大きな音の立ち上がりのきつい音はびっくりする。そもそも地下鉄は地上の鉄道と異なり、踏切はないし線路への侵入者も滅多にない。保線作業員も列車のライト、騒音で気付くはず。
列車の運行に際しては安全教育ということがかなり徹底して行われているものと考えられる。日常の快適な空間として駅を成り立たせるためには、音環境についての意識教育が必要になっているのではないか。
ということを踏まえ、不要な警笛は鳴らさないでほしい。例えば出発前の警笛はいらない。景気づけなのか、単に習慣になっているだけなのか。バス、路面電車などでは他の交通もあるので多少意味はあると思うが、地下鉄においてはまったく不要。入線直前の警笛もホームにいる人を驚かせるだけである。
いわゆるちんちん電車は出発時に鐘を「チンチン」とならしてから出発していたような気がするが、あの音は警笛のように大きな音ではなく、そんなに頻繁ではなく、それなりの風情があり、他に合図の音が何もないので意味があったと思う。
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●トータルデザイン
駅は駅、列車は列車で別な系統でデザインされている。トータルにデザインされていたらもっと快適な音環境を形成できるのにと思う。
最近は「環境ISO」のように、結果ではなく事業体としての取り組みそのものが評価されるようになってきた。公共的空間の環境形成についてもちゃんと考える仕組みが事業体の中で必要だろう。そして、それが規制というのではなく常識的なものになってくると都市の生活はより快適になるのではないかと思う。
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